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2017/10/23 - DoTTS Students 学生コラム

メキシコ・グアダラハラ大学 留学体験

交流文化学科3年 原孝彰

【はじめに】獨協大学交流文化学科3年の原孝彰です。2016年7月から1年間メキシコのグアダラハラ大学へ留学していました。メキシコシティに次ぐ第二の都市グアダラハラは、メキシコ西部ハリスコ州にあります。メキシコでの1年間は先住民についての学びと、スペイン語習得が主な目的でしたが、最終的には様々なことについて考えさせられるとても良い経験となりました。あまり多数派ではないかもしれませんが、留学はスペイン語圏としか考えていませんでした。というのも、小学生の時に2週間ほどメキシコでホームステイをし、お世話になったホストファミリーにスペイン語でお礼を言いたいという気持ちがあったからです。そのためメキシコへの留学が決まった時はとても嬉しかったです。

【メキシコの文化】まず初めに、メキシコの人たちは非常に親切でした。食事の際は全員の料理が揃うまで待ち、会話をするときは必ず相手に元気かと尋ね、くしゃみをした人に対してsalud(お大事に)と言ってあげる習慣、文化がありました。また場所を聞いた時に目的地まで案内してくれた人、テスト前日にはわざわざ家に泊まりにきて助けてくれたクラスメートなど、自分のことを後回しにしてまで人に優しくできる人がたくさんいました。Marincheという外から来た人に親切をするというメキシコ特有の概念も私がそう感じた理由の1つであったかもしれません。

メキシコの人たちの優しさ、心の豊かさは印象的な事の1つでしたが、誰に対しても同じように接する姿勢にも非常に驚きました。町を歩いていると何気なく道や時間を聞かれました。はじめは非常に驚きました。なぜなら明らかに道を知らなそうな、スペイン語を話せるかも分からないような異国人の私に、平気で話しかけてきたからです。なぜ外国人の私に、という気持ちになりました。ただそれと同時に、メキシコに生きる一人の人間であることを認められていると感じることができました。

【ボランティア】もちろんメキシコ国内に全く問題がないわけではありません。私が研究テーマにしていた先住民問題だけでも大きな問題の1つです。さらには経済格差が大きなことはメキシコ最大の問題です。

日本ではあまり見られない光景かもしれませんが、メキシコでは街の中を歩いていると、お金や食べ物を求める人が多くいます。この中には中南米からの移民や子供や赤ん坊を連れた親子、小さな子供だけという場合もあります。学校に通うことのできない子供がたくさん存在しており、自分がいかに恵まれた環境で育ったかを実感しました。この側面についてさらに知るべきだと思い、グアダラハラにある孤児院でのボランティアに参加しました。写真は孤児院内の様子や野球プログラム、コロンビア人ボランティアによるコロンビアについての発表の様子などです。二か月ほどの孤児院でのボランティアでは、したたかに生きる子供たちの姿と、それを好意で支える人達の存在が見えてきました。

様々な事情で預けられた30人程度の小学生から大学生くらいの子供たちが、決して大きくはない家で生活をしていました。住みこみで子供たちのお世話をしているパウロさんの話では、いくつかの企業や個人からの食料やお金などの寄付で毎日の生活が成り立っている、という事でした。パウロさん自身も雇われているわけではなく、ボランティアで孤児を引き取ることを決めたそうです。つまり仕事としてではなく、厚意で彼らを育てています。開設当初、全く寄付のない大変な時期もありました。私がボランティアをしていた二か月の間にも、企業や個人による新規支援や打ち切りが決まるなど、援助が安定していないことがよく分かりました。

野球プログラムでは、3つの孤児院を対象に子供達が野球の指導を受けています。このプログラムではグアダラハラにあるプロ野球チームの選手が週3回野球を教えていて、子供たちにとってプロ野球選手との貴重な体験になっています。野球に取り組む時の彼らは真剣かつ本当に楽しそうで、非常に良い気分転換になっていました。子供たちはそういった多くの善意ある人々によって支えられていました。

私の主な役割は、他の学生ボランティアと同じようにサッカーやトランプ、卓球などをして遊ぶことでした。日本の文化を紹介するプレゼンテーションをしたり、宿題を手伝ったり、学校や野球プログラムへの付き添いをするなど、様々なことをして時間を共にしました。最初は心を開いてもらうことができず悩むこともありましたが、最終的にはとても仲良くなることができました。嬉しかったことは、日本に帰らないでほしい、将来また会おうと言ってもらえたことです。大きい子が小さい子を手伝うなど、彼らの助け合いながら生きる姿は非常に印象的でした。

【おわりに】私がメキシコから学んだことは、経済的な豊かさはなくとも、そこに生きる人々がいるということでした。日本と比べると、経済的に豊かではないかもしれません。しかしながら、助け合って生きるメキシコ人は強くたくましく感じました。実際1年の間に数え切れないほど助けてもらい、慣れない環境に生きる私には、彼らの分け隔てのない優しさに対して良い意味でカルチャーショックを受けました。1年間日本を離れたことで、今では日本を客観的に見ることができます。日本の良い部分にももちろん、たくさん気が付きました。

考えや文化の違いをうまく乗り越えるのに必要なのは、メキシコ人が持つ許しあい助け合う気持ちではないかと考えました。この留学では想像を超えた日本とは異なる文化に触れ、日本にいるだけでは知ることのできない経験となりました。

スペイン語を学ぶきっかけとなったヒメネス家と小学生ぶりの再会、長男はサッカー選手になっていました。
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野球プログラム