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2021/11/30 - DoTTS Faculty 教員コラム

アメリカ合衆国の歴史を先住民の側から見直してみよう – その3 「明白な天命(Manifest Destiny)」(高橋雄一郎)

 「(その1)ハロウィーンとコロンブスデー」で、アメリカ合衆国がキリスト教中心の国であることを書きました。合衆国には公式に定められた国の標語(national motto)があるのですが、「In God We Trust (我々は神を信じる/頼る)」です。こフレーズは合衆国の全ての紙幣に印字、硬貨に刻印されています(下に写真を載せました)。大統領は就任式で、聖書に手を置いて宣誓をします。もちろん今ではキリスト教以外の信仰を持つ人も、無神論の人も大勢いる訳ですが、合衆国の建国や発展が神の導きによるもの、あるいは神の定めである、という発想は、1620年にプリマスに辿り着いたピューリタンの一団(Pilgrim Fathers = 巡礼始祖と呼ばれていました)から、1776年の独立宣言で「生命・自由・幸福の追求」を神によって与えられた譲ることのできない権利(inalienable rights)と謳ったトマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)を経て、現在に至るまで、合衆国の思想史・精神史におけるバックボーンを形成しています。

「神を信じる(In God We Trust)」の印刷されたドル紙幣

 「明白な天命(Manifest Destiny)」は、北米大陸の征服、西へ西へと領土を拡大していった、いわゆる西漸運動(westward movement)が、神の定め(運命=destiny)であることは、誰の目にも明らか(manifest)だという主張です。明白な天命という言葉は、1845年に、ジャーナリスト、雑誌編集者のジョン・オサリヴァン(John O’Sullivan)によって初めて使われました。しかし、西部の開拓を明白な天命と考えたのは、WASP(白人、英国系、プロテスタント、White Anglo-Saxon Protestants)を中心とするヨーロッパからの移民たちで、土地を追われ、言語や文化を奪われ、ときに虐殺された先住民たちではありません。また、明白な天命というヴィジョンに、人身売買の結果アフリカから強制連行された奴隷たちが含まれることはありませんでした。明白な天命という言葉を、日本で耳にする機会はそれほど多くありませんが、西漸運動が急ピッチで進められた19世紀後半には、米国思想に内在する覇権主義的なイデオロギーを正当化するために用いられました。西部開拓を神が定めたもの=天命、とすれ主張には、反駁の余地は残りません。先住民族の虐殺や文化の破壊が国是とされたのです。それから1世紀半が経過した現在、「明白な天命」は覇権主義的イデオロギーを反省し、歴史を批判的に検証するための言葉となっています。

 今回は、「明白な天命」を具現化した作品として教科書などにもよく登場する、二枚の有名な絵画についてお話します。

帝国の進路は西に向かう

  ≪帝国の進路は西に向かう Westward the Course of Empire Takes its Way≫
 合衆国連邦議会議事堂(the Capitol)内部、下院側に描かれた高さ6メートル、幅9メートルに及ぶ壁画です。ドイツからの移民で歴史画家、エマニュエル・ロイツェ(Emanuel Leutze、1816-68)によって1862年に制作されました。同じく首都ワシントンD.C.にあるスミソニアン・アメリカ美術館(Smithsonian American Art Museum)に、1861年に描かれたこの絵の習作(84.5 x 110.1 cm.)が展示されています。合衆国の美術史に残る作品とてしてロイツェはもう一枚、≪デラウェア川を渡るワシントン、Washington Crossing the Delaware, 1851≫を残しています。後に初代大統領になるジョージ・ワシントン将軍が1776年のクリスマスの朝、兵を率いて凍てついたデラウェア川を渡河する、独立戦争の有名な一場面を描いた作品です。

デラウエア川を渡るワシントン

 タイトルに「帝国」という言葉がありますが、合衆国の発展をローマ帝国の植民地域拡大になぞらえて、西部への領土拡大を視覚化した作品です。雪をいただく急峻なシエラ・ネヴァダ山脈を越える開拓者たちの一行を中心に、画面左手側、つまり西側には黄金色の西日に輝くカリフォルニアの大地が、そして画面下には旅の終着地として、太平洋に面するサンフランシスコ湾、現在はゴールデン・ゲート・ブリッジのかかる海辺の情景が描き込まれています。

 以下のリンクはワシントンD.C.にある連邦議会のサイトです。プラス(+)ボタンをクリックすると絵画を部分的に拡大して鑑賞することができます。

https://www.visitthecapitol.gov/exhibitions/timeline/image/westward-course-empire-takes-its-way-emanuel-leutze-1862

 画面中央にはアライグマ皮(クーン・スキン)の帽子にフリンジ付きの皮ジャケットといういで立ちの、いかにも西部開拓者然とした男性と、赤ちゃんを抱く女性が描かれています。この構図は、ヨーロッパのキリスト教絵画に頻繁に登場する聖家族、幼な子キリストを抱く母マリアと父ヨセフ、を思わせます。左右に配された人物(聖家族では洗礼者ヨハネとマリアの母アンなどの聖人たち)を加えると正三角形の古典派的な構図が読み取れます。中央に位置する男性は右手を差しのべて、西、カリフォルニアの方角を示しています。西へ進むこと、大陸を支配することが神の啓示、つまり「明白な天命」だと言わんばかりの姿勢です。(ただし、聖家族はカトリック的な絵画なので、プロテスタント・アメリカにそのまま当てはめてよいか、ちょっと迷います。)

 聖家族を想わせる中央の人物群の後ろでは、足場もない岩山をよじ登る二人の男性が頂上に星条旗、すなわち合衆国旗を掲げようとしています。この光景は、合衆国国歌「星条旗(The Star-Spangled Banner)」に歌われている、夜明けの薄明りの中、城壁にたなびく星条旗を連想させます。フランシス・スコット・キーの詩による「星条旗」は、米英戦争(The War of 1812)のさなか、東海岸ボルティモアのマックヘンリー要塞に対して、夜通し続けられた英軍の艦砲射撃に耐えてたなびく国旗、星条旗を翌朝、見とめることができた歓びを表しています。

 連邦議会議事堂の壁画≪帝国の進路は西に向かう≫に描かれているのは、カリフォルニアに沈む夕日に照らされる星条旗です。たなびく星条旗は、開拓者たちの行く手を阻んでいた急峻な山脈も、太平洋へと眼下に広がるカリフォルニアの大地も、西へ西へと拡大する合衆国の領土であることを高らかに宣言しているようにみえます。

 国歌「星条旗」の歌詞には、「危険な猛攻に耐えて(through the perilous fight)」はためく星条旗、というフレーズがあります。単音節の単語が続く中、危険(perilous )という三音節の単語が突出して聞こえ、印象に残る箇所だと思います。「危険を乗りこえること」はロイツェの≪帝国の進路は西に向かう≫でも重要なモチーフです。幌馬車を連ねる開拓者の一行は、さまざまな危険を乗りこえて西へ向かいます。それは山道にあえぐ人々の姿からも連想されますが、途中で死んでしまった馬の骸骨や朽ち果てた馬車の車輪などが描き込まれていることからも分かります。(道半ばで亡くなった開拓者を埋葬する場面が習作には含まれていますが、壁画ヴァージョンからは削除されています。議事堂という晴れやかな場所にふさわしくない、という判断が働いたのでしょうか。壁画が描かれた1862年は南北戦争のさなかで、奴隷解放宣言の出された年です。習作にはなく壁画には含まれるイメージに、画面手前に描き込まれている黒人の農夫があります。)

 急峻な岩山を越え、危険をものともせず進んでいく姿は、勇敢で男性的な行為です。合衆国の西漸運動は、19世紀における北米大陸の征服、西海岸への到達では終わりませんでした。開拓者たちが西海岸カリフォルニアに達し、国勢調査局が「フロンティアの消滅」を宣言した1890年の8年後の1898年、合衆国はハワイイ王国を併合し、米西戦争に勝利してフィリピンを植民地化しています。さらにその40年後に勃発した太平洋戦争は、東アジアの覇権をめぐる日本との戦争でした。1945年、硫黄島摺鉢山に星条旗を立てる米海兵隊員たちの雄姿が、ピュリッツァー賞を受賞した戦場カメラマンの「やらせ撮影」で広められたのは、今ではよく知られた事実です(クリント・イーストウッド監督の映画『父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers、2006)』を観られた方も多いのではないでしょうか。硫黄島の日本軍司令官、栗林中将を主人公にした『硫黄島からの手紙(Letters form Iwo Jima、2006)』とセットで制作されました。)「力ずくの勝利」というモチーフが、1814年の米英戦争の勝利を祝う国歌「星条旗」にも、西部開拓を正当化する議会議事堂の壁画≪帝国の進路は西に向かう≫にも、首都ワシントンD.C.の対岸、アーリントン国立墓地に立つ硫黄島海兵隊記念碑にも通底しているのは、合衆国の歴史を貫通する、先住民、アジア、そして大自然を支配しようとする、マッチョな男性の支配原理だと書いたら、ちょっと言葉が過ぎるでしょうか。

≪帝国の進路は西に向かう≫について、6分ほどの解説動画をネットで見つけました。ナレーションが英語なのですが参考になると思います。

アメリカの進歩

 ≪アメリカの進歩 American Progress
 さて、今回、紹介したいもう一枚の絵は、ジョン・ガスト(John Gast、1842-96)による1872年の作品、≪アメリカの進歩 (American Progress)≫です。ガストも、≪帝国の進路は西に向かう≫の作者ロイツェと同じドイツ系ですが、リトグラフ印刷業者として成功した父親に連れられて合衆国に移住した移民二世です。また、ロイツェより四半世紀ほど後に生まれています。南北戦争後、西部開拓がより身近なものとして、一般の人たちのイマジネーションを膨らませていった時期に活躍しました。クロモリトグラフと呼ばれる多色印刷のプリントが普及した結果、≪アメリカの進歩≫は旅行ガイドなどに多く印刷され、西部を一度は旅してみたいと思う人たちの旅行熱をあおったようです。産業革命を経た後の19世紀後半は、市場資本主義が確立されていった時代です。当時の合衆国人口の2%、およそ70万人が亡くなったとされる南北戦争(1861-65)後の、復興の時代でもありました。消費が拡大される中で、ツーリズム、観光旅行が一般消費者の手に届くレジャーに成長していきます。そして広告、なかでも販売戦略の重要な要素として、イラスト、ポスターなど視覚的な訴求力の高いメディアが人々の注意をひくようになります。連邦議会議事堂のインテリアを飾ったロイツェの≪帝国の進路は西に向かう≫は、西漸運動を合衆国国家のイデオロギーと位置付けた公認の表象といえますが、ガストの≪アメリカの進歩≫は、急速に工業化・近代化する合衆国にあって、西部開拓の夢と希望が市井の人たちの暮らしの中で息吹いていた証左といえるでしょう。

 (この絵は以下のページから参照できます。日本の国会図書館にあたる合衆国連邦議会図書館(the Library of Congress)のサイトから取りました。マウスの操作で拡大・縮小ができます。)

https://www.loc.gov/resource/ppmsca.09855/

 ≪アメリカの進歩≫も、≪帝国の進路は西に向かう≫と同じように北米大陸全体を映し出す壮大な構図を取っていて、右側が東の大西洋、左側が西の太平洋です。右上にはハドソン川と支流のイースト・リヴァーに挟まれた中州であるニューヨーク市の心臓部、マンハッタン島が描かれています。イースト・リヴァーを跨いでマンハッタンをブルックリンと結ぶ巨大な吊り橋、ブルックリン・ブリッジは当時の科学技術・建築工学の粋を集めたもので、この絵が描かれた1872年にはまだ建設中でした。竣工にはさらに十年を要しますが、「アメリカの機械文明の進歩」の象徴として≪アメリカの進歩≫に、美しくアイコニックな姿が描き込まれています。

 機械文明といえば、交通手段として鉄道が馬車に取ってかわったのが、やはりこの絵の描かれた時代でした。≪アメリカの進歩≫には三本の鉄道線路と、全て左方向(つまり東から西へと向かう)蒸気機関車に牽引された三本の列車が描かれています。上(北)から、ノーザン・パシフィック鉄道、ユニオン・パシフィック/セントラル・パシフィック鉄道、サザン・パシフィック鉄道です。三本のうち、ネブラスカ州オマハから西へ建設が進められたユニオン・パシフィック鉄道と、カリフォルニア州サクラメントから東へ建設されていったセントラル・パシフィック鉄道が、当時はまだ州になっていなかった、現在のユタ州プロモントリーで結合され、最初の大陸横断鉄道が完成したのは、1869年5月10日、この絵が描かれる三年前のことでした。開通の式典では、枕木に黄金の犬釘が打ち込まれ、これも米国史の教科書などによく登場する、有名な記念写真が撮影されています。

 (有名な開通記念式の写真を紹介している以下のページは、合衆国国立公園局のサイトから取りました。)

https://www.nps.gov/gosp/learn/historyculture/a-moment-in-time.htm

 さて、≪アメリカの進歩≫の中央に位置し、空中を浮かんでいるように見えるのは、古代ギリシア・ローマの彫像を想わせる薄布を身にまとった女性像で、合衆国の擬人化である「コロンビア」だとされています。コロンビアという名前はコロンブスの女性形で、1886年にニューヨーク港に自由の女神像が完成し有名になる前は、アメリカ合衆国を象徴する女性の図像(アイコン)として、よく用いられていました。≪アメリカの進歩≫の構図が、パリのルーヴル美術館に展示されているドラクロワの≪民衆を導く自由の女神(1830)≫に想を得ているのは、ほぼ間違いないと思います。(ただし、原題はLa Liberté guidant le peupleで「民衆を導く自由」です。彼女は神ではなく、フランス共和国を象徴する女性、マリアンヌの擬人化された姿だと考えるべきでしょう。)ドラクロワの描いたマリアンヌは片手にフランス国旗である三色旗、もう一方の手にはマスケット銃を持っています。

民衆を導く自由

 女性像コロンビアが右わきに抱えているのは一冊の書物で、学問、科学の進歩を示しています。さらに彼女の抱えた本からは一本の電信線が延びて、彼女の左手を通って絵画手前の鉄道線路へと延び、そこからは線路に沿って建てられた電信柱の列へと結ばれています。大陸横断鉄道は、鉄道という人と物資の輸送手段であっただけでなく、電信技術で東海岸を西海岸と結び、21世紀にはコミュニケーションの時代となる文明の変化を予見していたかのように見えます。

 1830年の7月革命でパリの民衆を先導するドラクロワのマリアンヌに代わって、≪アメリカの進歩≫でガストの描くコロンビアが導いているのは、ワゴンをつらね、あるいは鋤などの農具を担いで徒歩で、西を目指す開拓者たちです。大陸横断鉄道の建設にあたっては、線路に沿った広大な土地が無償で鉄道会社に払い下げられ、鉄道会社が土地を転売することで、西部の入植、農業化が加速しました。その結果、西部は急速に姿を変えていきます。≪アメリカの進歩≫の画面左端には、「進歩」によって追われ、滅びてゆく二つのグループが描かれています。一つがアメリカ野牛(bison)の群れです。白人による毛皮目当ての乱獲により、西部開拓が終了した=合衆国国勢調査局が「フロンティアの消滅」を宣言した1890年には、絶滅寸前にまで追い詰められていたそうです。

 二つ目のグループが、≪アメリカの進歩≫の左隅、全速力で逃げるバイソンの大群の下に、同じく左側(つまり西)に追われて逃げていく小さな集団として描かれている先住民たちです。先住民たちは、1492年にコロンブスによって「発見」され、その後に続いた探検家、征服者、移民たちに追放、虐殺され、またヨーロッパ人が持ち込んだ彼女たち/彼らには免疫のなかった天然痘などの病気によってバタバタと倒れていきました。ヨーロッパ人の到着する数千年、数万年前から米大陸に暮らしていたのにもかかわらず、です。≪アメリカの進歩≫は、ヨーロッパから来た移民社会による先住民の追放、虐殺、土地の収奪、西部の開拓、開発、工業化、つまり文明の進歩が正しいことである、と宣伝し、旅行ガイドに印刷されることで、新興の消費者階級に滅びゆく野牛の群れや先住民を眼差しの対象として消費することを呼びかけている絵画作品です。

 先行したドラクロワの≪民衆を導く自由≫では、フランス共和国を擬人化した女性マリアンヌが、「自由・平等・友愛」を象徴する三色旗を振り、民衆の先頭に立っています。歴史の流れが絶対王政から民主政治へ向かっていることを象徴する構図です。一方、ガストの≪アメリカの進歩≫が描いた先住民の虐殺、自然の破壊が正しいことだとは、現在、2021年の視点からは考えられません。

 南北米大陸に到達したヨーロッパ人たちは、彼らの「発見」した「新大陸」を、自分たちがかってに無主地(ラテン語でTerra nullius=誰のものでもない土地)であると決め、領有を進めていきました。実際には、米大陸には先住民が暮らしていて、ヨーロッパ人は彼女たち/彼らに邂逅しているのですが、先住民には土地所有の概念がなく、統治・管理能力を欠いているので、土地の領有は自分たちの権利である、と主張したのです。さらに加えて、西部開拓は「神」が定めた運命だ、と唱えることで正当化してしまったのです。ヨーロッパ系白人(特にWASP)を他の民族の上におく選民思想で、今聞くととんでもない自己中心的主張ですが、当時はその論理が「明白な天命(Manifest Destiny)」としてまかりとおっていたのです。≪アメリカの進歩≫では、開拓者たちを導いている女性の額に星が描かれています(先のリンクからアクセスすると拡大して見ることができるので確認してください)。聖書にはキリスト生誕のときに、ベツレヘムの上空に明るい星が輝いて、東方の三博士にキリスト礼拝の道順を示した、という話がでてきます(『マタイによる福音書』II、1-12)。絵画≪アメリカの進歩≫は、「西部開拓=アメリカの進歩」が星に導かれた、つまり神により定められたもので、疑いも挟む余地なく正しいのだ、というイデオロギーを示しています。

 前回、映画『駅馬車』に関連してお話したように、20世紀後半になると、アフリカ系アメリカ人、女性、LGBTQIの権利獲得運動などと共に、先住民の権利を求める運動が広がっていきました。しかし、国連総会が「先住民の権利に関する宣言」を採択したのは2007年、今世紀に入ってからです。その翌年-2008年には、オーストラリア首相が、「盗まれた世代(stolen generation)」と呼ばれる、先住民ヨーロッパ系白人男性と、先住民アボリジニの女性の間に生まれた子どもたちを、母親から引き離して寄宿学校に入れ、白人文化に同化させようとしていたことが1970年代まで続いていたことを認め、正式に謝罪しました。寄宿学校は合衆国やカナダにも数多く設置され、最近カナダで跡地から大量の子どもの遺体が発見されるなど、問題化しているので、また別の回で言及したいと考えています。

 オーストラリア首相の謝罪は以下から視聴できます。

 先月はスコットランドのグラスゴーで、COP26と呼ばれる地球温暖化への対策を協議する国際会議、「国連気候変動枠組条約第26回締約国会議」が開かれました。地球の気温は現在、産業革命前に較べて1.2度、上昇しているそうです。会議の目標は2100年までに気温上昇を産業革命前に較べて1.5度までの上昇に抑えたい、というものでした。次のリンク(世界経済フォーラムのもの)を開いて、ページの真ん中あたりまでスクロールしていただくと図が出てきます。産業革命前からの気温上昇1.5度という目標達成がいかに困難なものか分かると思います。

https://www.weforum.org/agenda/2021/11/cop26-everything-to-know-about-the-climate-change-summit-on-10-november/

 産業革命と科学技術の進歩は人類に大きな恩恵をもたらしました。私たちの日々の快適な生活が、産業革命後の歴史に負っていることは明らかです。資本主義市場経済の発展、今日の大量生産/大量消費の暮らしをもたらした歴史です。しかし、快適さの代償が地球規模での環境の搾取、破壊であったことを、私たちは今、気づいたのです。

 搾取、破壊されたのは自然環境だけではありません。産業革命後の、技術の進歩と、富の蓄積、軍事力の増大によって、欧米を中心とし、そして欧米を追いかけて日本が加わった「先進」社会は、地球の他の地域を植民地化し、先住民族の生活と文化を破壊していったのです。先住民の追放、虐殺、強制的な同化政策を、「明白な天命」であり、「文明の進歩」として正当化してきたのはアメリカ合衆国に限りません。謝罪はもちろんですが、奪われ、失われてしまった言語や文化の復活、権利や生活の保障など、「多様性」や「共生」が求められている現在、国際社会が、日本が、そして私たちが取り組む必要のある課題は、まだまだたくさんあると思います。(続く)