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2019/2/19 - News&Topics

写真展「私のレンズを通して見た、占領下のパレスチナ」が開催されました。

交流文化学科では、パレスチナの現状を広く学生、一般に伝えるため、NPO法人アースキャラバンから写真を借り受け、写真展「私のレンズを通して見た、占領下のパレスチナ」を2019年1月9日から、1月28日まで、西棟1階ロビーにて開催しました(写真)。写真展会場では大勢の学生や一般市民が足を止め、写真や解説文に見入っていました。(以下、本ページには、写真展に展示された写真を、ハーティブ氏の許可を得て掲載しています。)

 

パレスチナは地中海の東端に位置し、ガザとヨルダン川西岸の二つの地区に分かれています。パレスチナ国国連代表部のサイトによると現在、パレスチナを国家として正式に承認している国が世界に137あります(註1)。しかし、実際にはパレスチナのほとんどがイスラエルに軍事占領されていて、国として機能することが難しいのが現状です。東京23区ほどしか面積のないガザ地区は、イスラエル軍により完全に包囲、封鎖されていますし、四国ほどの広さのヨルダン川西岸地区のうち、パレスチナ政府が行政と治安をともにコントロールしているのは、A地区と呼ばれる都市部を中心とした総面積の18%に過ぎません。(ちなみに面積で22%のB地区では行政権はパレスチナ側にありますが、警察権はイスラエル軍にあります。残り60%のC地区では、行政・治安ともイスラエル軍が管理しています。)

 

今回の写真展はヨルダン川西岸地区にあるビリン村在住のフォト・ジャーナリスト、ハイサム・ハーティブ氏(写真)による、イスラエルによる占領の実態と、パレスチナの文化、そして抵抗運動の様子を伝える写真30点から構成されています。彼の写真はフェイスブックで公開されていて、世界で25000人のフォロアーが注目しています(註2)。彼の住むビリン村(パレスチナ政府が暫定的に首都機能を置いているラマラから西に15キロほど)では、2005年から村人たちが、毎週金曜日の礼拝の後、海外からの平和活動家たちと共に、非暴力のデモ行進を続けた結果、イスラエルが計画していた分離壁の位置を少しだけずらし、一部ですが、貴重な村の農地を守り抜くことができました。デモ行進は現在も続けられていて、パレスチナにおける抵抗運動の象徴の一つになっています(写真)。獨協大学での写真展は2018年の4月から5月にかけて、NPO法人アースキャラバンの主催により、京都の立命館大学国際平和ミュージアムで公開されたものと同じ内容です。

 

ビリン村は人口3000人に満たない農村ですが、隣接して10万人規模のユダヤ教超正統派の入植地モドリーン・イリットが建設されています(写真)。入植地は、グリーン・ライン(第1次中東戦争の休戦ラインで、パレスチナとイスラエルの国際法上の境界線)を越えてパレスチナ側に食い込んでいます。さらに、入植地の外側にコンクリート製の分離壁や鉄条網のフェンスが作られるので、村人は農地や、果実の収穫のために大切に育てているオリーヴの木にアクセスすることができません(写真)。イスラエル軍と入植者たちによる暴力が、村人の生活を脅かしています。毎週、村の中心地から分離壁に向かって歩くデモ隊に、イスラエル軍は催涙弾、閃光とともに超大音量で炸裂して群衆を恐怖に陥れる音響弾、丸い鋼鉄の弾をゴムで覆っただけで実弾に近い殺傷力のあるゴム弾(写真)などを撃ってデモ隊の威圧を試みます。軍に向かって投石する若者は逮捕され、数年を刑務所で過ごすことも珍しくありません。兵隊たちは、昼夜を問わず村に入り、夜間、土足で家に入り込むこともあります。今回の写真展開催中にも、夜中に侵入したイスラエル兵にビデオカメラを向けたハーティブ氏が、足を撃たれて負傷するという事件が起こりました。

 

イスラエルの占領に対するパレスチナの抵抗に連帯して、海外から運動に参加する人たちも少なくありません(写真)。私たちは占領の事実を知り、占領に喘ぐパレスチナの人たちをどのように支援することができるか、真剣に議論していく必要があります。そのための最初のステップは知ることです。今回のような写真展を通じて、あるいは書物を通じて、新聞やテレビなどのメディア報道を通じて、高校や大学の授業を通じて、また国連や、現地で活動しているNGOなどのウエブサイトを通じて、パレスチナが置かれている状況や占領の実態について学ぶことができます。

 

次のステップは行動することですが、初めはごく小さなステップでもよいと思います。たとえば今回の写真展のパネルを提供して頂いたNPO法人アースキャラバンでは、現地へのキャラバンのほかに、映画の製作や上映もしています(註3)。映画の上映会なら、それほどハードルが高くなく参加できるかもしれません。パレスチナへの支援をしている団体は国内にも、国外にもたくさんあります。報告会などを覗いてみることから始めて、各団体の支援の方法や、立ち位置について学び、その次は、ボランティアをしたり、無理のない範囲で寄付をしたり、より積極的に活動に参加したりと、何らかの形でパレスチナとのかかわりを築いていくことができます。

 

でも、やはりできれば現地を訪ねてみたいものです。分離壁の建設に反対するデモに参加するのはちょっと勇気がいるでしょう。しかし、エルサレムやベツレヘムで歴史を学ぶ旅であっても、ちょっと気をつけて見れば占領の現実を理解することができます。NGOが主催するツアーも企画されているので、実施される日程などを事前に把握しておくと、より深く学ぶことができ、現地の人たちの意見を聞くこともできます。一つのお薦めはオリーヴ収穫(写真)のお手伝いです。オリーヴ油はパレスチナの食事・生活に欠かすことができないアイテムで、毎年10月末から11月にかけての収穫期には、パレスチナのどこでも一家総出で収穫にあたります。自然の恵みをシェアするのはすばらしい体験です。また、オリーヴの畑が入植地の近くにあると、収穫が入植者の嫌がらせで妨害されることもあります。そんな場所では、現地で「インターナショナルズ」と呼ばれる外国人支援者の参加は、過度の嫌がらせの抑止になるので感謝されています(註4)。

 

パレスチナは2012年に国連のオブザーバー国家になりましたが、その前年の2011年からユネスコの正式メンバーで、ベツレヘムのイエスの聖誕教会と巡礼路が2012年に、ローマ時代の水道や灌漑施設も残る、バティール村の美しい段々畑が2014年に、そして旧約聖書の預言者アブラハムの墓所があるヘブロン(アラビア語名アル・ハリール)の旧市街が2017年に、それぞれ世界文化遺産に登録されています。パレスチナ観光についての情報は、大使館にあたる駐日パレスチナ常駐総代表部のサイトにも掲載されています(註5)。

 

以下、写真展に寄せられた感想からいくつかを抜粋して掲載します。

「特に印象に残ったのは子どもを抱いた女性が悲しんでいる写真だ」「自分の家が次の日には攻撃を受け、一瞬で崩れてしまうことを知り、一刻も早くパレスチナの現状を変え、人々を救うため、団結した国際社会の協力が不可欠だと思いました。」

「自分がいかに安全な環境で生きてきたのかを認識すると同時に、裕福であるからできること(直接的ではなくても間接的であっても)を探し、実行することが大切であると感じた。」

「弾薬の写真・・・平和な写真ならたくさんのブルーベリーにみえる素敵な写真ですが、真実はとても暗い重いものだとしり、いたたまれない重いです。

「パレスチナという国の名前は聞いたことはあったが、このような機会がなければ詳しく知ることはなかったと思う。」「獨協大学でもっとこのような写真展を開いてほしい。」

“Those who are allowed to study at university are responsible for the society in which we live. This is so called Noblesse-oblige.”

 

 

交流文化学科、高橋ゼミでは、「パレスチナ」と「移民・難民」を研究テーマに据えています。一緒に勉強してみませんか。(文責:高橋雄一郎)

 

(註1)

いわゆる西側諸国では、マルタ(1988年承認)、アイスランド(2011年承認)、スウェーデン(2014年承認)がパレスチナと外交関係を樹立しています。

http://palestineun.org/about-palestine/diplomatic-relations/

パレスチナ国国連代表部のサイトによる(2019年2月9日最終アクセス)。

 

パレスチナが国連のオブザーバー国家に格上げされた、2012年の国連総会の投票では、賛成が138,反対9,棄権141でした。反対票を投じたのはイスラエル、アメリカ合衆国、カナダ、チェコ、マーシャル諸島、ミクロネシア、ナウル、パラオ、パナマです。この時、日本は賛成に回りました。パレスチナと日本の間に正式な外交関係はありませんが、相互に代表部を置き、代表(大使)を派遣しています。また大統領、首相による相互の訪問もおこなわれています。

http://unispal.un.org/unispal.nsf/28ead5e67368b9ea852579180070e4d6/435e0f0c8b2262e485257ac6004f4d63?OpenDocument

国連のサイトによる(2019年2月9日最終アクセス)。

 

(註2)

ハーティブ氏のフェイスブックページ

https://www.facebook.com/haytham.alkhateeb?fb_dtsg_ag=Adxfj7Jx7YuvEeeGKN3meg5jiNHNar-XiipeuvlXqw5_Nw%3AAdzuTXqgqxgmCY2NPrxi7pWaRqkGETQOpGE23mfqL2s9EQ

 

(註3)

NPO法人アースキャラバンのウエブサイトから

https://www.earthcaravan.jp/befree/

 

(註4)

パレスチナのインターネット・ニュースサイト『マアン・ニュース:Ma’an News Agency (MNA)』は、2019年2月17日、国連人権問題調整事務所(UN Office for the Coordination of Humanitarian Affairs: UN OCHA)の発表として、入植者やイスラエル軍による嫌がらせが近年、増加傾向にあることを伝えています。発砲(入植者は合法的に銃を携行しています)や投石から、登下校中の子どもたちのいじめ、差別的な落書き、車のタイヤをナイフでパンクさせてしまうなど、さまざまな嫌がらせが横行しています。『マアン・ニュース』の記事に掲載された写真では、覆面をした入植者たちが投石をしています。背後に軍服を着たイスラエル兵が多数、写っていますが、彼ら/彼女たちはただ立っているだけで、入植者の暴力行為を黙認しています。

http://www.maannews.com/Content.aspx?id=782577&fbclid=IwAR061Au9apOWFhZ_v8PSloZXy8dGX_jOz4VYUdh3lPZPGw4RiV7BWkhMees

(2019年2月18日最終アクセス)

 

(註5)

駐日パレスチナ常駐総代表部のサイト

(ホームページ)http://www.palst-jp.com/jp/jp_top.html

(観光のページ)http://www.palst-jp.com/jp/jp_tt_top.htm

写真展の開催場所は、大学の創立50周年に建てられた一番新しい教室棟=西棟1階のロビーでした。自分たちの手作業で、パネルを天井からワイヤーで吊り下げることも考えたのですが、パネルに吊下げのための金具がないのと、高所での作業が危険だとの判断から、衝立をレンタルし、展示も専門業者に依頼しました。お金はかかりましたが、見やすい展示になりました。
写真展開催期間中、高橋ゼミの学生たちが、昼休みに案内役を務めました。
ハイサム・ハーティブ、ビリン村在住。フリーの写真、ビデオ・ジャーナリスト。工芸作家。15歳の時にイスラエル兵に投石して逮捕され、2年間投獄されました。投石はとなり村のアイスクリーム屋さんがイスラエル兵に殺されたことに対する、子どもたちの抵抗だったといいます。子どもたちの小さな抵抗が、(彼ら/彼女たちの人生を台無しにしかねない)大変重い処罰となって跳ね返ります。現地に行くと、イスラエルの刑務所に投獄された経験を持つパレスチナ人に大勢出会います。ハーティブ氏は現在、イスラエルの占領、入植者による暴力、村人たちの非暴力の提供の模様をカメラで記録、世界に向けて発信し続けています。
ビリン村の非暴力の抵抗は、分離壁の建設が村で始まった2005年から13年間、現在も続いています。毎週金曜日、昼の集団礼拝の後、村人たちとイスラエル、海外からやって来た支援者たちが、村の中心にあるモスクから分離壁までデモ行進をします。根気強い運動の結果、分離壁のルートを変更させ、接収された村の農地の一部を返還させることができた、パレスチナ抵抗運動の数少ない成功例の一つです。
分離壁の向こう側に建設され、今も拡張されているのがイスラエルの入植地、モドリーン・イリットです。人口は10万人規模で入植地としては最大級です。分離壁は、国際法的にイスラエルとパレスチナの境界と認められているグリーン・ライン(1949年の第1次中東戦争休戦ライン)から大きくパレスチナ側に食い込み、入植地の外延に建てられています。占領地に自国民を住まわせる入植行為は、ジュネーヴ条約など、戦争にかんする国際法に違反しています。イスラエルによる入植地の建設は国際社会から強く非難されていますが、ヨルダン川西岸地区に約40万人、東エルサレムに約20万人の入植者が暮らしていて、ネタニヤフ政権は入植地の建設、拡張をやめません。夏なのでトレードマークの黒の上着を脱いでいますが、黒のズボンと白のシャツから、この入植地がユダヤ教超正統派のものであることが分かります。
分離壁と鉄条網に挟まれ、村人が近づくことができなくなったオリーヴの木。
この写真、何を写したものか分かるでしょうか。写真展来場者のコメントにもあるように、知らなければブルーベリーのようにきれいで、美味しそうなもの、と考えてしまうかもしれません。「ゴム弾」という言い方は安全に聞こえるので正しくありません。直径15ミリの鋼鉄の弾を、2ミリの薄いポリエチリンの膜で覆ったもので、イスラエル軍が群衆を制御するために発射します。あたった場所によっては致命傷になりかねず、この弾丸により亡くなったパレスチナ人も少なくありません。詳しくはイスラエルの人権団体「ベツレム」の資料を参照ください。(最終アクセス日2019年2月19日)
https://www.btselem.org/download/201212_crowd_control_eng.pdf
パレスチナの占領を終わらせ、パレスチナ人の人権を回復すべきだ、と支援に訪れる良心あるイスラエル人や外国人は少なくありません。「人間の盾」と題がつけられたこの写真は、イスラエル兵に対峙してパレスチナの国旗を広げる外国人支援グループが写されています。
最後の写真2枚は、オリーヴの収穫と、緑色のヴァージン・オリーヴが圧搾される模様を撮しています。地中海気候のパレスチナでは、良く手入れされたオリーヴの木をあちこちに見かけます。オリーヴの木は長寿で知られ、村人たちが「ローマ時代に植えられた」と自慢する樹齢2000年もの古木が広場にあったりもします。オリーヴはこの地方の食生活に欠かせないアイテムで、平和のシンボルでもあります。