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2017/3/14 - DoTTS Faculty 教員コラム

伝統と革新が融合した街─タイ国プーケット旧市街を訪れて(須永和博)

プーケットというと、国際的なビーチリゾートというイメージが強いかもしれません。しかし、2015年12月にユネスコの創造都市ネットワークに認定されるなど、プーケットにはタイ国の他の地域には見られない、独自の文化遺産が存在しています。近年では、文化遺産を積極的に活用した遺産観光 (heritage tourism)のような取り組みも、旧市街地域を中心に行われています。こうした現状について調査をするために、2月14日から17日にかけてプーケット旧市街を訪ねました。

プーケットの文化遺産を考える上で、キーワードとなるのが「ババ(Baba)」と呼ばれる人々です。ババとは、植民地期にマレー半島に移住した中国系移民と現地のマレー系女性が通婚することによって生まれた民族集団で、プラナカンなどと呼ばれることもあります(ちなみにババは男性のことを指す言葉で、女性はニョニャと呼ばれることが一般的です。ただし、プーケットでは男性も女性もババと呼ばれることが多いです)。

ババの人々は、マレー半島に定着するなかで、言語や建築、家具、食器、衣装、食文化、宗教など生活文化全般において、(主に福建を中心とする華南地域の)中華系文化とマレー文化を融合した独自の文化を築いてきました。また、植民地交易の際には、ババがその仲介的役割を担ったこともあり、宗主国の西洋文化も自らの生活様式のなかに積極的に取り入れていきました。こうして、マラッカやペナン、シンガポールなどの海峡植民地を中心に、様々な文化が混ざり合った独特のババ文化が花開いていきました。近年では、当時のババの暮らしを描いたTVドラマ『リトル・ニョニャ』がシンガポールを中心にヒットするなど、ババ文化への再評価・関心も高まってきています。

一般的にババとは、海峡植民地の産物として捉えられることが多いですが、実は植民地になることを免れたタイ国においても、一定の影響力をもっていました。特に海峡植民地に接する最前線であったプーケットは、19世紀以降にマレーシア・ペナン出身のババが中心になって開発した錫鉱山によって発展した街です。現在でも、錫交易の拠点であった旧市街には、19世紀末〜20世紀初頭にかけて建設されたコロニアル建築の邸宅やショップハウスと呼ばれる店舗兼住宅が多数残っており、ババを自称する人々も多数居住しています。このようにプーケットは、植民地期のトランスナショナルな人やモノの移動のなかで形成された文化遺産が、今も色濃く残る街なのです。

こうした古い町並みが残る旧市街は、近年急速に観光地化が進み、ゲストハウスや土産品店、カフェなどが増えてきています。また、独特の街並みに魅せられた作家やアーティストなどの移住を背景に、ローカル文化をモチーフにしたストリート・アート・プロジェクトも行われています。しかし、このような観光地化に伴う都市再編によって、地価の高騰などのジェントリフィケーションも同時に進んでいます。

従来の観光研究では、観光地化に伴うジェントリフィケーションは、外部資本の流入と旧住民の周辺化といった形で、いわば負のインパクトとして捉えられることが多かったといえます。たしかに、プーケットでも新住民の流入は顕著です。しかし、もともとこの地域は、錫交易で財をなしたババも多く、高い経済資本と文化資本を有する住民も多いです。こうした旧住民のなかには、近年の観光地化のなかで、新たなビジネスに取り組む人たちも出てきています。特に教育や就労のためにバンコク等へ出ていった若い世代が戻ってきて、古いショップハウスを改装した、センスの良いカフェやレストランを開業する人々も増えてきています。

たとえば、2016年にオープンしたTorry’s Ice Cream Boutiqueというカフェはその1つです。このカフェのオーナーであるトリーさんは、プーケット旧市街で生まれ育たったババですが、シカゴの大学で食品科学を学んだのちは、米国内でしばらくパティシエとして働いていました。当初はプーケットに戻ることは考えていなかったそうですが、旧市街の観光地化が進むなか、新たなビジネス・チャンスを模索していたお姉さんに誘われて、プーケットに戻ることにしたそうです。

古いショップハウスを改装した店内には、ババの食器や家具などが置かれ、トリーさん自身もババの衣装に身を包むなど、ババ文化を強く意識した店舗デザインになっています。彼が作るアイスクリームにもそれが現れており、地元の菓子を用いたメニューがいくつかあります。そのなかでも一番人気なのが、「ビコモイ」というメニューです。ビコモイとは、かつてババの間で食されていた菓子で、砂糖で甘く煮た黒米のもち米にココナッツ・ミルクをかけたものです。このお店では、それを濃厚なバニラアイスにかけたものが食べられます。ビコモイは、若い世代では食べる機会があまりなく、存在そのものを知らない人も多いそうですが、アイスクリームのメニューに取り入れたことがきっかけで、再び注目を集めているそうです。

現在、この店を訪れる客のうち9割がタイ人で、そこには一定数地元住民も含まれます。「観光客のみならず、地元の人々にも愛されるお店にしたい」というトリーさんの願いは、ある程度成功しているといえます。

ただし、トリーさんは、単なる「オールド・ファッション」にはしたくないと言います。たしかにババの文化を強く意識した店舗デザインやメニューを採用していますが、アイスクリーム自体はイタリアで手に入れた最新のアイスクリーム・マシーンを使った「本格派」ですし、新たなメニューの考案にも余念がありません。

プーケット旧市街では、地元の若い世代を中心に、こうした「伝統」と「革新」を融合した興味深いビジネスが展開されています。ビーチリゾートというステレオタイプなイメージが強いプーケットですが、地元の文化遺産を生かした創造産業もまた魅力的な資源になっているのです。

 

写真1 ショップハウスが立ち並ぶ旧市街の景観
写真2 土曜日の夜は歩行者天国になり、夜市が開かれる
写真3 コロニアル様式の邸宅(現在はレストランとして営業)
写真4 ババ女性(ニョニャ)の正装であるマレー風衣装(クバヤ)を売るお店
写真5 地元ババの信仰の拠り所でもある廟。福建から職人を呼んで建てたという
写真6 Torry's Ice Cream Boutiqueの外観
写真7 Torry's Ice Cream Boutiqueの内部
写真8 ビコモイのアイスクリーム
写真9 ショップハウスを改装したローカル料理を提供するレストラン
写真10 ババ衣装に身を包んだ少女を描いたストリート・アート