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2026/9/16 - DoTTS Faculty 教員コラム

歴史や文化を学ぶ意味とは─マレー半島、長崎への旅から(須永和博)

 最近、タイ南部に足繁く通っている。むろん調査研究のためだが、そこで楽しみにしている料理がある。

 鶏の唐揚げである。

 「唐揚げなんて、日本にもあるじゃん」。そう思った人も多いかもしれないが、タイ南部最大の商業都市ハートヤイの名物の一つが、鶏の唐揚げなのである。タイ語で「ガイトート・ハートヤイ」(ハートヤイ風鶏の唐揚げ)と呼ばれる。濃い味付けの唐揚げに、揚げたエシャロット(ホムジアウ)をたっぷりかけて食べるのがハートヤイ風だ。もち米やスパイスで味付けしたビリヤニ風の米と一緒に食べる。これを食べると、南部に来たなあと実感する。

写真1: 人気の唐揚げ屋台

写真2: 朝から行列ができる

写真3: ホテルに持ち帰って朝食

 この「ガイトート・ハートヤイ」、実は売っている人の多くは、ムスリム系タイ人である。人気の屋台には朝から行列ができるが、並んでいる客もムスリム系タイ人が多い。いわば「ムスリム系タイ料理」とも言える。

 一般にタイは「仏教国」と思われているが、南部のマレー半島にはムスリムも多く、鶏の唐揚げ以外にも様々なムスリム系タイ料理を味わえる。タイ南部を旅する際の楽しみの一つである。

写真4: ロティ・マタバ。肉や野菜をパイ生地で包んだもの。これもムスリム系タイ料理。

写真4: ハートヤイ郊外のモスク

 その一方で、南部の都市には、福建をはじめとする華南地域の文化も色濃くみられる。農地に適した土地が限られていた福建の人たちは、16世紀以降東南アジアの沿岸部に移住し、交易などの仕事に従事した。財力をつけた華人のなかには、現地に定着し、地元の有力者となった人も多い。たとえば、ハートヤイのあるソンクラー県の初代知事は福建系華人(呉陽)である。しかも、その後8代にわたって、呉一族が知事を務めた。タイ南部には、ソンクラーのように、華人が都市開発の中心的な役割を担った場所が少なくない。そこでは、関羽や媽祖など道教の神々を祀った廟も多いし、旧盆(中元節)や旧正月には中華圏の風習にもとづいた伝統行事が営まれる。もちろん、中華料理の店も多い。

 

写真6: 華人廟

 

写真7: 中華建築の旧ソンクラー知事公邸(現在は博物館)

 こうしてタイ、中華、ムスリムの文化が共存した多文化的な社会が南部の魅力である(一部マレーシア国境に近い「深南部」と呼ばれるエリアでは、タイからの分離独立を目指す過激派によるテロが起こっているが、大半の地域では共存している)。

 国際的なビーチリゾートとして知られるプーケットもまた、錫鉱山開発に関わった福建系華人によって整備された都市である。私が今夏プーケットを訪れた時は、ちょうど中元節に当たる時期であった。中華圏では、旧暦の7月は「鬼月」と呼ばれ、死者の霊魂(餓鬼)があの世からやってくると信じられている。そこで、この世の人たちは餓鬼が悪さをしないよう、たくさんのお供物を用意して、あの世に送り返す。プーケットでも「ポートー(普度)」と呼ばれる中元節の行事が、華人系タイ人のあいだで行われていた。

写真8: 餓鬼を管理・統率する神様とされる普度公が祀られている。

写真9: あの世からやってきた餓鬼への供物

写真10: プーケットでは赤い亀のお菓子(アンクー)が奉納される。この習慣はプーケット華人だけのもの。

写真11: プーケット市近郊の沿岸部に暮らす海民(ウラクラウォイ)も招待され、踊りを奉納。

 実は日本にも、福建の文化が根づいている場所がある。鎖国の時代も海外との交易が行われてきた長崎である。タイ南部の調査旅行から帰国後、今度はゼミの学生たちと長崎を旅した。目的の一つは、「和華蘭文化」とも呼ばれる、トランスナショナルな文化交流の結果形成されたハイブリッドな文化の諸相を学ぶためである。現地では、「長崎さるく」と呼ばれるまち歩きツアーに参加し、地元の方々から長崎の歴史と文化を学んだ。

 長崎の街を歩いていると、福建から伝わった文化が、人々の生活のなかに根づいている様子を随所に見ることができる。

 たとえば、長崎の墓には、墓石とともに「土神」と呼ばれる道教由来の「土地神」が祀られていることが多い。墓石に刻まれた文字が金色に彩られているのも中華文化の影響を感じさせるし、線香にも「竹線香」と呼ばれる、中華世界で広く使われているものがある。

 また、毎年10月に行われる祭り「長崎くんち」では、「長崎刺繍」と呼ばれる中国の影響を受けた華やかな装飾の衣装が用いられるほか、「唐人船」や龍踊りなど、中国との交流を背景とする演し物も披露される。これらはいずれも、中華世界との長い交流のなかで、長崎の文化として定着していったものである。

 

写真12: 福建人が建てた「唐寺」。ここでも中元節の行事が行われる。

写真12: 土地公(福徳正神)を祀った「土神堂」

写真13: 中国の影響を受けた「長崎刺繍」

写真14: お墓の隣に祀られた「土神」の石碑。

 マレー半島と長崎。一見すると、遠く離れた地域のように思える。しかし、福建人のトランスナショナルな移動という視点から眺めると、両者は意外なかたちでつながっている。

 その歴史を紐解いていくと、「民族」や「文化」といったものが、現在私たちが考えている以上に、柔軟で流動的なものであったことが見えてくる。国や民族、文化の違いが強調されがちな現在、マレー半島や長崎の歴史と文化に目を向けることには、この閉塞的状況に風穴を開けるきっかけになるのではないか、と考えている。

 歴史を学ぶことの意義の一つは、現在の状況を相対化し、ありえたかもしれない別様な世界のあり方を想像することである。その意味で、異文化を学ぶことと歴史を学ぶことは、どこか似ている。どちらも、自分たちが当たり前だと思っている常識や前提、価値観を相対化し、世界を別の角度から見つめ直すきっかけになりうるからである。