交流文化の魅力
「交流文化」という言葉から、皆さんはどんな連想を浮かべるでしょうか。
姉妹校や姉妹都市を通じた国際親善でしょうか。オリンピックや万博などの世界的イベントでしょうか。
「交流文化」について、私のちょっとした体験からお話をさせてください。
先日、私は買い物の帰路、<東京国際フォーラム>に立ち寄りました。
丸の内にある、国際会議場や展示会場、オフィス・スペースなどからなるきれいな複合施設で、お洒落なレストランやカフェもあります。
ここで働いている人たちはみんなエリートなんだろうな、と思いました。
でも私は偶然、そこで沖縄を見つけたのです。
晴れて、暖かく、気持ちのいい5月の月曜日でした。
昼休みだったので、中庭はベンチでお弁当を食べたり、おしゃべりをしたりする人たちで賑わっていました。
私はある光景を目にしました。昼休みのオフィス・ワーカーたちをお客さんに、改造した軽自動車を10台ほど丸く並べて、いろいろな食べ物を売っていたのです。
<丸の内ミニ屋台村>っていうのだそうです。ベルギー・ワッフルの専門店や、<フォー>というベトナム伝統のヌードルを食べさせる屋台もありました。
そこで私が出会ったのは、沖縄に旅行してから懐かしい味が忘れられない<タコライス>を売っているワゴンでした。
学生のころ、はじめて行った慶良間のペンションで、お昼にご馳走になったのが<タコライス>だったのですが、私は<タコライス>が何か知りませんでした。
「えっ、タコライス知らないの?」と言われて、ちょっと恥ずかしい気持ちになりましたが、(島のペンションだったので)無邪気に蛸の入ったご飯かな、と思ったりしました。
でも、出てきたのは、ご飯の上に、お肉やお野菜、そして料理の温もりでちょっと溶けかかったチーズがトッピングされたプレートで、あまりの美味しさに、このタコライスは沖縄産のオリオンビールと共に、あっという間に私の胃袋の中におさまってしまいました。
<タコライス>の元祖がメキシコの<タコス>だと知ったのは、それから、かなり後になって、ニューヨークに留学した時でした。
合州国には大勢のメキシコ系の人が暮らしています。
メキシコ系の人たちの生活から、メキシコの味はさまざまな民族を出自とする合州国市民のあいだに広まっていきました。
<テックス・メックス=テキサス風メキシコ料理>なんていうのが、人気を獲得して全米に展開するファミリー・レストランで供されたりしています。
<タコス>は<トルティーヤ>という、トウモロコシの粉を練って、薄く丸い形に焼いたパンに、お好みの具を包んで、サルサソースをかけて食べる、メキシコのポピュラー・フードです。
<トルティーヤ>は、メキシコから中米にかけての主食といってもよく、何とでも一緒に食べます。
私たちにとってご飯のような存在です。
そういえば、トウモロコシもジャガイモも、アメリカ大陸の原産で、後にヨーロッパに運ばれていったことを、私たちは忘れてしまいそうです。
でも沖縄には<トルティーヤ>はありませんし、トウモロコシで作ったパンよりも、お米のご飯の方が美味しいよね、という訳で生み出された料理が<タコライス>です。
メキシコの食が米軍基地を媒介にして、沖縄に移植されたのです。
食文化が中米から北米へ、そして太平洋を越えた沖縄へと移動し、交流し、変容していったプロセスがよく分かります。
沖縄料理といえば<チャンプルー>を思い浮かべる人も多いでしょう。
ゴーヤを具材にした<ゴーヤ・チャンプルー>が有名ですが、素麺を使った<ソーミン・チャンプルー>や、麩を入れた<麩チャンプルー>なんていうのもあります。
「チャンプルー」という単語は、マレー系の言語で「いろいろなものをミックスする」という意味があるそうです。
長崎の<チャンポンメン>も同じ語源ですね。
琉球が、日本と中国、さらに南のマレー半島やインドネシアへと続く、さまざまな民族や文化が交流する場所であり、そこに独創的で素晴らしい文化が生まれたことに思いを馳せましょう。
タコスは食文化に題材を取った一例ですが、文化は、国家、民族、言語、宗教などに本質的で固有なものではなく、人々の交流に伴って変容し、歴史の中で創造、再創造されていくものです。
技術革新と自由市場経済に支えられた現在のグローバル社会では、人の移動と情報の交換が、昔は想像も出来なかったような高速度で、かつ大量におこなわれています。
大切にすべき伝統は多々ありますが、「自分たちだけの伝統」への固執は、視野の狭い「自文化中心主義」を正当化し、自分たちとは異なる価値観を認めない、排他的で不寛容な態度を助長しかねません。
移民や難民を締め出そうとする「排外主義」が、日本を含め、今、世界各地で頭をもたげています。
私たちは排外主義の間違いに気づいてもらうよう、努力すべきでしょう。
格差を是正し、平和で平等な世界を建設するためには、社会、経済、環境、国際関係など、多角的な視点から人の移動と、交流、混淆、変容する文化の諸相について考えていくことが大切だと思います。
「交流文化」の学科名称には、そんな思いも込められています。(高橋雄一郎)