2018/1/29 - News&Topics
ロヒンギャ難民支援・緊急報告会を実施しました(2018年1月19日昼休み)
昨年12月に群馬県館林市のロヒンギャ民族コミュニティーを訪問した学生たちによる緊急報告会が天野貞祐記念館4階のICZ(International Communication Zone)でおこなわれました。ロヒンギャ民族はビルマ(ミャンマー)[1]西部、バングラデシュに国境を接するラカイン州に暮らす少数民族で、ビルマ国内の人口は110万人ぐらいと推定されています。日本には約250人が館林市を中心に暮らしています。
学期末試験直前の忙しい時期にもかかわらず、40人を超える学生と教職員で会場は満員になりました。聴衆からは熱心な質問が相次ぎ、人権に対する獨協生の意識の高さがうかがわれました。
学生たちはロヒンギャ民族への迫害が、多数派であるビルマ民族・上座部仏教徒による、少数民族ロヒンギャ民族・イスラム教徒に対する差別に起因すること、ロヒンギャ人が市民権を与えられず無国籍状態でいることなどの問題点を指摘し、日本政府はロヒンギャの人たちに寄り添い、ミャンマー政府により強いプレッシャーをかけて、問題解決に向けて努力をするべきだと主張しました。
学生たちは、これからも支援活動を続け、フェイスブックを使って情報を発信していくそうです。フェイスブック・アカウントをお持ちの方はこちらをご覧ください。
https://www.facebook.com/StudentsUnitedforRohingyaRights/
ビルマは多民族国家ですが、カレン、カチン、シャンなど少数民族の弾圧が続いています。なかでもロヒンギャ民族に対する弾圧は厳しさを増しています。過去にも数回、迫害を受けた大量のロヒンギャ難民がバングラデシュに避難したことがありましたが、今回発生した難民は65万人以上[2]とされ、想像を絶するような人道危機になっています。
きっかけは昨年8月25日に、ロヒンギャ民族の武装グループが警察の詰所などを襲撃し、ミャンマー治安部隊側に12人の死者を出したとされる事件でした。これに対し、ミャンマー国軍が直ちに報復を始めました。報復は男性を殺し、女性をレイプし、村々を焼き討ちにするという物凄いもので、バングラデシュ側で医療支援をおこなっている「国境なき医師団(MSF)」は、8月25日からの1カ月だけで、「どんなに少なく見積もっても6700人(うち730人が子ども)」のロヒンギャ人が殺害された[3]、と報告しています。人権NGO「ヒューマンライツ・ウォッチ(HRW)」は衛星画像を解析して、焼き討ちにあった村を300以上、特定しています[4]。ゼイド・ラアド・アル・フセイン国連人権高等弁務官は、昨年9月の人権理事会冒頭で、これは「民族浄化の典型(a textbook example of ethnic cleansing)」であると発言しています[5]。
一つの民族を全て追放、殺害しようとする「民族浄化」、そこまでひどい人道危機はなぜ起きたのでしょうか。ラカイン州では2012年6月に大きな衝突が起こり、ロヒンギャ人200人以上が殺されています。ミャンマー治安部隊は、多くのロヒンギャ人活動家を拘束し、モスクを破壊しました。その後、都市部ではロヒンギャ人を強制移住させてゲトーのような居住区に囲い込み、農村部では村の出口に検問所を設けて通行を規制するなど、弾圧を続けました。その結果、生計の道を絶たれたロヒンギャ人の多くが密航業者を使って、タイやマレーシアに出稼ぎに出るようになりました。密航業者は悪辣で、奴隷のように人身売買されたり、密航船の上で生命を落とす例がメディアでも多く報じられました。
そして2016年10月、ふたたび大きな衝突が起きて3万人以上の難民が発生し、今回の人道危機へとつながっていきます。いずれの場合もミャンマーの治安部隊やビルマ人仏教徒による組織的暴力に耐えきれなくなったロヒンギャ人が、武器(といってもナイフや鉈しかない)を取って蜂起し、その何十倍、何百倍もの仕返しを受ける、というパターンです。
このシリーズ(その1)にも書きましたが、50年以上も軍の独裁が続いたビルマ(ミャンマー)は、2010年に民政移管し、2016年に公正な選挙を経て、アウンサンスーチーを党首とする国民民主連盟(NLD)の政権が誕生しました。しかし軍は権力を維持するために、合法、非合法を含め、あらゆる手段を行使しており、国民による民主的な国家運営には、まだほど遠い状態にあります。
少数民族の弾圧は、軍が国民の支持を引きつけておくためのポピュリスト的な政策ともいえます。その中でも、顔かたちがインドやバングラデシュに住むベンガル人に近く、イスラム教徒であるロヒンギャ民族は、厳しい差別の対象になっています。
ビルマ人の中には、ロヒンギャ人が19世紀に、当時の植民地支配者であったイギリスによってベンガル地方から移住させられた労働者で、ビルマ古来の民族ではない、と考えている人が多いようです。この構図は日本における朝鮮人や外国人差別と似ています。ネットには「日本人ではない人に対等の権利を与えるべきではない」といった書込みが目立ち、心が痛みます。日本人か外国人かである前に「すべての人に平等な権利を」主張しようではありませんか。
歴史的には、アラカン王国といわれたビルマ西部に、ロヒンギャ民族は古くから住んでいたようです。仮にイギリスの植民地時代に移住してきた人たちだとしても、現在はビルマに生活基盤を持ち、社会生活を営んでいるのですから、市民権・国籍を与えない、というのはひどく横暴な態度です。軍や一部の仏教指導者が、大衆のロヒンギャ人嫌悪という火に油を注ぎ、国民を自分たちの支配に盲従させようとしています。
[1] 1989年に軍事政権が国名をビルマからミャンマーに変更しました。「ビルマ」も「ミャンマー」もビルマ民族の国という意味では同じです。軍事政権を認めない国やメディアは国名変更後も「ビルマ」を使っていましたが、政権が民主化されたという認識から「ミャンマー」の使用が一般的になりました。しかし、この記事で書いたように、ビルマで依然として実権を握っているのは国軍です。国軍による支配に反対する意味で、この記事では国名をビルマ(ミャンマー)と表記しています。
[2] 国際連合人道問題調整事務所(OCHA)発表の数字
https://www.unocha.org/rohingya-refugee-crisis(1月25日最終アクセス)
[3]バングラデシュの難民キャンプで避難してきた人たちから聞き取り調査をおこなったもの。http://www.msf.org/en/article/myanmarbangladesh-msf-surveys-estimate-least-6700-rohingya-were-killed-during-attacks(1月25日最終アクセス)
[4] https://www.hrw.org/news/2017/12/17/burma-40-rohingya-villages-burned-october(1月25日最終アクセス)
[5] https://www.nytimes.com/2017/09/11/world/asia/myanmar-rohingya-ethnic-cleansing.html(1月28日最終アクセス)