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2017/3/2 - DoTTS Students 学生コラム

Eötvös Loránd Tudományegyetem, Magyarország(Hungary)

こんにちは、交流文化学科4年の大森黎です。私は2016年の9月から1年間の予定で、ハンガリーのブダペストにあるエトヴィシュ・ロラーンド大学に留学しています。エトヴィシュ・ロラーンド大学はハンガリーの中で一二を争う優秀な大学であり、大学の規模も大きく、多くの留学生がここで勉強をしています。私はこの大学に留学し、英語の勉強と英語で文学や社会学の授業を受けています。

ここでまず皆さんが疑問に思うことがあると思います。「なぜハンガリーなのか?」または「なぜ英語圏でないハンガリーで英語の勉強をしているのか?」ということです。正直にいいますと、私は最初から「絶対にハンガリーで勉強したい」という気持ちはありませんでした。留学をして、異なる視点から日本を、そして世界を眺めて見たいと思ったことと、さらには東欧の歴史や文化を学び、彼らがそれらに対してどのように考えているのか、どのように記憶しているのかが気になって、ハンガリー留学を決めました。

そうしてブダペストに来てからは、東欧の古いヨーロッパの歴史と冷たい共産主義時代の歴史の入り交じり合いなどについて、とても興味が沸いてきました。

エトヴィシュ・ロラーンド大学には、他のヨーロッパの国々から毎年多くの留学生がやって来ます。彼らのほとんどは1学期だけか2学期ほどの短い留学ですので、マジャール語(ハンガリー語)を話すことは出来ません。そのため必然的に英語での授業が豊富に用意されています。

私は現在2種類の授業に出席しています。ひとつは英語で英語を勉強する授業と、英語で文学を学ぶ授業です。1つ目の授業のクラスメイトは全員、英語圏以外からの留学生です。国籍はさまざまで、ロシア、トルコ、イラン、エチオピア、チュニジア、イスラエル、中国などです。2つ目の授業では英語を勉強したいハンガリーの学生と他のヨーロッパの留学生の混ざった授業です。こちらの授業は毎回恐ろしいほど宿題が出るため、かなり大変ですが、その分レベルの高い授業を受けています。

エトヴィシュ・ロラーンド大学はブダペストの少し郊外に3つの寮を構えていて、私はその中で一番大きな寮に住んでいます。私の寮は12階建てのビルと2棟の4階建てのビルで構成されていて、その中に図書館、ジム、バー、音楽室があり、屋外にはサッカーグラウンド、バスケットコートが設置されています。寮のほとんどの住人は地方から来たハンガリーの学生で、今年は44人の留学生がともに生活をしています。また毎週木曜日は寮のバーやクラブでパーティーがあり、ハンガリーの学生や他の留学生とも知り合うことが出来き、私はとても気に入っています。

 

留学中に私はいろいろな人に会いました。新学期のはじめの頃は、ほぼ毎晩寮のバーに留学生たちと集まって、お互いの国のステレオタイプを壊し合い、いかにそれが違うのか、またはそのステレオタイプに対してどのように思っているのか、冗談を挟みつつ話していました。例えばルーマニアといえばジプシーという偏見、祖母が強制収容所にいたポーランドの留学生が語る家族の物語──その家族の記憶というのがいかに国家の記憶と繋がっているのか──、そして一番強烈だったのがパレスチナのガザ出身の留学生が冗談交じりに言う「俺はテロリストだ」という、まったく笑うことが出来ない冷笑的なつぶやきでした。寮に住んでいる留学生の国籍は、ルーマニア、チェコ、ポーランド、ブルガリア、リトアニア、ドイツ、ベルギー、トルコ、パレスチナ、中国、ポルトガル、イタリア、ロシアなどで、かなりインターナショナルな寮だともいえます。最近では毎週木曜日の夜にみんなで料理を作って一緒に食べることや、部屋で一緒に音楽を聴きながらコーヒーや紅茶を飲んだりして過ごしています。

週末はブダペストの美術館や劇場、ジャズの演奏を聴きに行きます。また寮の近くにあるハンガリー料理のレストランに友達たちとよく出かけます。ここのオーナー夫婦と親しくなり、クリスマスには彼らの家に招待してくれました。またポーランド出身の留学生と共産主義やホロコーストに関する博物館を一緒に回り、彼がそれらに対してどのように思っているのかを聞くことが出来ました。

また大学のクラスでは、チュニジアの学生が、いかにハンガリーの人々が中東の人々に対して偏見を持っているかについて、不満を露わにしていました。彼がチュニジアから来たと言った瞬間に離れていった、ある一人のハンガリー人を例に挙げて。またイスラエルの学生からパレスチナ問題について話を聞き、週に一度はイスラエルの新聞にパレスチナからのテロのニュースが載ることや、彼女の親友はパレスチナ人であることを知りました。

各国の学生と話す時にいつも思うことは、私はニュースや本でその事柄について知っていても──たとえそれがどんなに正確な情報だとしても──現実の世界とは確実に違ったものであるということです。いかに私が日本で難民の問題について勉強していたとしても、どのくらいの数の難民がヨーロッパに向かっているのかを知っていても、ハンガリーの人々または他のヨーロッパの人々が難民に対してどう感じているのか(考えるではなく)は、知ることが出来ません。そういった意味でも、私のハンガリー留学はかなり学ぶことが多い留学になっていると思います。

 

ブダペストに来て、友達も出来、毎日を楽しく過ごしていますが、その反面寂しく思うときもあります。これが俗にいうホームシックなのか分かりませんが、ただ一つ確かに感じることは、文化の違いです。それも日本文化とハンガリー文化といったような国籍による違いではなく、もっと曖昧な文化の違いです。

言語も環境も違うこの国で、自分を異邦人だと感じる寂しさは、すべての留学生が抱えていると思います。留学先で会うほとんどの人たちは、私とは国籍が違います。だからといって自分が日本人だということにアイデンティティを求めるのでは無く、違いを分かった上で理解しあっていくことが重要になってきます。それはもちろん、それぞれの国のステレオタイプに今まで出会った人を当てはめていくのではなく、つねに相手のことを知ろうとする態度が必要になります。

留学というのは一つのコンタクトゾーンであり、コンタクトゾーンでは意味を生産し続けますが、止まることはありません。この人はこういう人だと勝手に想像して他の側面を見ないようにするのではなく、いつまでも相手を理解しようとするこの行動がとても大事だと思います。もちろん獨協大学で出会った人たちも(つまり異文化の接触ではなくても)同じですが、私達は他人を完全に理解することは出来ません。しかし理解しようと試み続けることが出来ます。そしてその態度を続けて行くことによって、いつか各国のステレオタイプの寄せ集めのような偽物の多文化共生ではなく、本当の多文化共生の世界が出来上がるのではないでしょうか?

相手を理解しようとすることを止めない、それが一番大事なことだと思いました。

(大森黎)

 

ブダペストの鎖橋
大学の図書館
大学の寮の部屋
木曜日の夜に寮の学生たちが集まるバー
ポーランドからの留学生の友人と