2016/1/21 - News&Topics
鈴木涼太郎先生の新聞連載(新潟日報)について
本学科の鈴木涼太郎先生が『新潟日報』にて連載「晴雨計」を執筆されています。
ツーリズム部門の担当者である鈴木先生は、これまで20回あまりの連載で、ご自身が取り組まれている観光研究の成果をわかりやすく解説されてきました。鈴木先生と新潟日報のご協力を得て、ここではその一つをご紹介します。
「おみやげが運ぶ文化」 (2015年12月25日掲載)
4週間にわたって、マトリョーシカの話をしてきました。
ロシアを代表する民芸品のルーツが、箱根からおみやげとして持ち帰られた七福神人形にあること、そして今やロシアのみならず世界各地でおみやげとして売られていること、中国ではおみやげ用に大量生産されていること。マトリョーシカの旅は、おみやげ抜きに語ることはできません。
しばしばわれわれは、おみやげとなる品が、その地域に古くから存在するものと思いがちです。
しかし、マトリョーシカの例が教えてくれるのは、現在おみやげとして売られている商品が、実は別の場所からおみやげとして運ばれてきたものである場合もあるということです。このような事例は、他にも数多く存在します。
代表例は、北海道の木彫りの熊です。
アイヌの人々が持つ木彫りの技術を反映したものとして、北海道観光では以前から定番のおみやげとなってきました。しかしアイヌの人々に、もともと木彫りの熊を作る習慣はありません。では、このおみやげはどこからやってきたのでしょうか。
答えはスイスです。1922年、尾張徳川家19代当主徳川義親(よしちか)が、欧州旅行へ行った折、スイスで購入した木彫りの熊を持ち帰ったのがきっかけです。
義親は旧尾張藩士が入植していた北海道の農場で働く人々の生活を改善するため、農閑期である冬の生業(なりわい)づくりに思いを巡らせていました。
そんな時、スイスの農民が冬の間に作った木彫りの熊がおみやげとして売られているのを目にして、同じことが北海道でもできないかと考えたのです。
このアイデアは成功し、木彫りの熊は農場で働くアイヌの人々にも広まるとともに、瞬く間に北海道みやげの代表となります。
このプロセスが興味深いのは、ロシアにおけるマトリョーシカの誕生と非常に似た側面を持っているということです。
マトリョーシカの大量生産も、実業家マモントフ家がセルギエフ・ポサードの農民の冬季の副業として指導したことに端を発しています。
同時期に同じような現象が、遠く離れた場所で起きていたというわけです。
観光という人の移動は、同時におみやげというモノの移動を伴います。そしておみやげが移動先で新たな文化を生み出し、さらにそれがおみやげとなる。おみやげは、文化を運ぶ存在とも言えるのです。