2023/9/25 - DoTTS Faculty 教員コラム
9月の風と見上げた空(北野収)
残暑がまだ残る晩夏のある日、黄金色に実った稲が首(こうべ)を垂れる広い田んぼが一面に広がる中、私は鎌を不器用に使いながら、腰をかがめて稲刈りの手伝いをしていた。農家のTさんは大型のコンバインを操縦して田の広い部分の稲刈りをしていた。残暑とはいっても、8月の暑さよりは幾分湿度が引いた、カラッとした爽やかな晴れの日の午後だった。気分転換、というよりは多少疲れたので、曲げていた腰を伸ばし、背伸びをした。その時、一瞬、それまでとは違うヒヤッとした涼しい風が吹き始めたことを感じた。「これが秋風?」と思った私は、空を見上げた。夏の入道雲は秋のイワシ雲(巻積雲)に変わりつつあった。そして、何ともいえない充実感を覚えた。
そう、民間企業を経て農林水産省に入省して2年目の9月、間もなく27歳を迎えようとしていた私は1か月の農家研修で石川県の鶴来(つるぎ)町(現白山市)にいた。この研修には、本省Ⅰ種採用の2年目の若手職員が全員派遣された。主な受け入れ先は、各地の優良農家、有力農家の方々であった。私の研修の場合は、鶴来のTさんのお宅に1か月住み込ませていただいた。朝食前にトマトを収穫し、それを農協の集荷施設に軽トラで届けた。日中の主たる仕事は、稲の収穫であった。収穫後の籾付き米の乾燥作業のお手伝いもあった。Tさんのご家族も役場の担当者のKさんも「将来、偉ろうなる人だから…」と言い、気遣って下さったし、本当に親切にしていただいた。
農政の仕事といっても、普段は霞が関のビルの中で、朝から深夜まで、国会答弁書の作成や予算や組織・定員に関する会議に忙殺されていたから、季節の変わり目を肌で感じるような感覚は、とうの昔に失っていた。日暮れまで雑木林や原っぱを駆けずり回っていた幼い頃はそれが当たり前だったはずなのに。結局、その8年後、私は農政の仕事を離れて、渡米した。
あれから34年もの月日が経った。3~4年前から、わが家は主たる居所を千葉の田舎に移した。小さな畑と(ぎりぎり)首都圏の個人宅としてはやや広めの庭がある。9月の晴れの日、畑や庭で野菜や花の世話をしていると、千葉でも鶴来と同じ「秋の風」が吹き、その日を境に夏が秋に変わっていくことを再確認できる。空を見上げると、やはり雲はイワシ雲に変わりつつある。
あの空は、遠く離れた鶴来の田んぼとTさんやKさんとつながっている。風や雲は、季節の変化を告げてくれるだけでなく、若かりし頃の懐かしい鶴来での研修のことも思い出させてくれる。
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