2026/3/31 - DoTTS Faculty 教員コラム
多元世界と「他者の根源的な他者性」(北野収)
ユニバースという語が「ひとつの世界」を前提にしてきたのに対し、近年は世界そのものを複数として捉える「プルーリバース(多元世界)」という考え方が提案されています。多元世界という語は耳ざわりがよく、受け入れやすい印象を与えますが、その背後には二つの重要な複数性が含まれているのです。ひとつは人間どうしの多様性、もうひとつは人間とノンヒューマン(自然・動物・人工物など)との関係における多様性です。
国家・経済・産業・文化・技術・伝統・教育・ナショナリズムといった概念の多くは、西洋近代の文脈で定義され、それが植民地主義や国際関係を通じて世界に広まっていったものでした。この広まりには、常に「伝える側(主体)」と「受け取る側(客体)」という二元論が存在しています。主体として想定されてきたのは、西洋、先進国(日本も含まれる)、男性、白人、キリスト教徒、異性愛者といった属性であり、そこには人間中心主義(anthropocentrism)が根強くあります。
一方で客体とされた人々は、外部から持ち込まれた価値観や基準を自分自身を測る「眼鏡」や「ものさし」として内面化してしまいます。この現象が「オリエンタリズム」と呼ばれるものです。また、人間が常に主体であるという前提のもとでは、かつて人間と連続していた自然は「環境(人間を取り巻くもの)」や「資源(人間の活動を支える材料)」として扱われるようになり、その位置づけも大きく変化したわけです。
多元世界という発想は、カタルーニャ出身の宗教学者ライモン・パニカーが最初に提案したもので、その後ラテンアメリカの社会科学者たちが中南米先住民族のコスモビジョン(世界観)と結びつけながら発展させてきたものです。こうして生まれた多元世界論は、「南」から「北」へと逆方向に提示される社会理論として位置づけられるようになりました。
この多元世界の前提としてパニカーやラテンアメリカの研究者たちが重視するのが、「他者の根源的な他者性(radical otherness of the other/la alteridad radical del otro)」という考え方です。これは、他者を自分の尺度で吸収したり同化したりせず、他者が他者として存在する根源的な異質性を尊重するという姿勢を意味するものです。
私の恩師の一人であるメキシコ人思想家のグスタボ・エステバ先生(Gustavo Esteva, 1936–2022)は、著書の中で「他者には、どうしても混ざり合えない根源的な他者性がある」ということを示すために、二つの例を挙げています。一つ目は、植民地化時におけるヨーロッパのカトリック教徒と現地の人々との対話です。二つ目は、戦後の「緑の革命」で、先進国の農業技術者と先住民の農民が「技術」や「生産性」について長いあいだ交渉を続けた場面です。どちらの事例でも、表面的には互いに礼儀と敬意をもって、平和に話し合いが行われていました。しかし実際には、「教える側」と「教えられる側」という一方向の関係が固定されており、その構造は見方によっては暴力的です。
同じ構図は、日本社会の内側にも想定できます。東京とそれ以外の「地方」、大和人=日本人とそれ以外の人々、上級国民とそれ以外、大規模開発と自然…。
パニカーやエステバによれば、このような関係は本当の意味での対話とは言えません。これは対話ではなく、「許容(tolerance)」を押しつける態度にすぎないというのです。本当の対話は「ホスピタリティ(hospitality)」、つまり相手の立場や世界観をそのまま受け入れる姿勢から始まります。なぜなら、人と人、文化と文化、人と自然のあいだには、ときにどうしても混ざり合わない「根源的な他者性」が存在し、対話によっても溶け合わない領域があるからです。残念ながら、弱肉強食のこの現代世界では、この「溶け合わない領域」の存在が認められない状態です。
新自由主義的グローバリゼーションが、結果として価値をもった点があるとすれば、それは世界に「根源的な他者性」という考え方を呼び覚ましたことです。世界中が同じ基準で測られ、同じ方向へ向かうように見えるなかで、むしろ人々は「どうしても混ざり合わない違い」が確かに存在することに気づかされました。多元世界とは、この根源的な他者性を受容する態度です。そこには、たくさんのローカリゼーションからなる「プラネタリーゼーション」が想定されます。
英語を学ぶことはとても大切です。しかし、その学び方によっては、英語が「ユニバース的な世界」で使うための単なる道具に矮小化されてしまう危険もあります。一方で、学び方次第では、英語は「多元世界」へと踏み出すためのパスポートにもなります。英語がその多様な世界を行き来するための(条件付きの)架け橋になるという考え方です。
ユニバース的二元論から抜け出すことは、誰にとっても容易なことではないです。私は残された獨協での数年間、ラテンアメリカの多元世界理論の研究を掘り下げ、出来る範囲で情報発信をしていこうと思っています。国際関係をプラネタリーなものにすること、一方的な開発から多元的社会変革への移行(トランジジョン)について構想するつもりです。この話を授業で前面に出すことはありませんが、折に触れて、いくつかの局面でお話できればと思います。