2024/6/18 - DoTTS Faculty 教員コラム
クルド難民はアブナイ存在?(高橋雄一郎)
先日、1年生の授業で難民について話す機会がありました。他の先進諸国に較べて日本が難民の受入れに極端に消極的なこと、大学からさほど遠くない埼玉県川口市に2000人規模のトルコ出身のクルド人難民コミュニティーがあること、彼女たち/彼らは迫害を逃れて日本に来ているのに日本政府からは難民と認定されず、「仮放免」という不安定な身分で生活している人も多いこと、などを話したのです。
授業後に提出してもらったフィードバックでは、多くの学生が難民の苦境に共感してくれていたのですが、難民やクルド人について、不確かな情報をもとに誤った認識を持つ学生も見受けました。SNS上で拡散されている外国人嫌悪を真に受けているようで、注意を喚起しておきたいと思い、筆を取りました。
まず、日本の難民受入れについて気になったコメントを二つ紹介します。一つは、「日本の難民認定率が低いのは自国の治安を守るためで、不法滞在者による犯罪は高い水準にあり、可哀そうだからという理由で難民を受入れるのは難しい」、もう一つは「実際に多くの難民を受入れたドイツやスウェーデンの治安の悪化は著しく、日本政府が慎重になるのはよく理解できる」と書かれています。どちらも難民受入れによる犯罪の増加、治安の悪化を心配する意見ですが、難民=不法滞在者=犯罪の温床という図式は正しいのでしょうか。
国境を越える移動にはパスポートやヴィザが必要ですが、紛争や迫害を逃れてくる難民は、パスポートやヴィザを持っていないこともあります。迫害の主体である独裁政権や軍事政権は、反政府側の人間にパスポートを発行しないからです。そうした場合、難民は偽造パスポートの入手など、非正規な手段しか出国の方法がなくなります。ですから、正規の証明書を持っていないという意味で、難民が「不法滞在者(注1)」になることはあり得ます。しかし難民が窃盗や傷害などの「犯罪」を犯すことは多くありません。強制送還されたら、元の国で拷問にあったり、場合によっては死刑になる可能性すらある訳ですから、スピード違反のようなマイナーな罰金刑の場合であっても、難民が敢えてそのようなリスクを冒すことは少ないでしょう。
シリア内戦が激しかった2015年「ヨーロッパ難民危機」と言われ、ドイツには100万人以上の難民申請者が押し寄せました。”Refugees Welcome”のサインを出して難民を受入れようとする市民たちの姿が、日本のニュースでも数多く紹介されました(注2)。
しかし、2015年11月にパリで138人が犠牲になる同時多発テロが起きると、それまで難民に寛容だったヨーロッパの世論に変化が生じます。国際テロ組織による入念な計画の上の犯行だったのですが、難民と結びつけて捉えられてしまいました。
そこに拍車をかけたのが、同じ年の大晦日にドイツのケルンで起きた集団女性暴行事件で、加害者の多くが「北アフリカのアラブ系」だったとされました。加害者を擁護するつもりはありませんが、底辺での生活を強いられいた移民を差別してきた社会の側にも責任があるはずです。しかし、事件によって「悪いのは外国人、非正規の手段で入国してきた難民ではないか」という集団心理が生まれ、反難民の感情が一挙に高まってしまいました。
同じような集団心理の高まりは9.11のテロ事件の後にも起きています。イスラム教徒であったり、アラブ系の風貌と見られただけで、暴行を受けた人が大勢いました。より最近では、Covid 19が「アジア・ウィルス」と呼ばれ、日本人を含む東アジア系の人たちが、被害にあったことは記憶に新しいと思います。
100年前の日本で、関東大震災の後に起きた朝鮮人・中国人の集団虐殺の引き金になったのも、同じ集団心理です。震災の起きた1923年の前、1910年に日本は大韓帝国を併合し、朝鮮半島を植民地としますが抵抗に遭い、1919年には3.1独立運動が起きています。そうした中、日本の支配により生活苦に陥った労働者たちが、出稼ぎ先として日本に渡航するようになり、日本社会は朝鮮人が団結して暴動を起こすのを怖れたのです。その恐怖が「朝鮮人が井戸に毒を入れている」「爆弾を投げ入れた」などの流言飛語を生み、朝鮮人に対する排外的な差別感情が一挙に高揚して虐殺が起きたと考えるべきでしょう。
朝鮮人差別は戦後も続き、近年は在日コリアンに対するヘイトデモが頻発していました。しかし2021年、国会で入管法改正が議論されると、ヘイトの矛先はトルコ出身のクルド難民にも向けられるようになり、SNS上に反クルドの書込みが溢れ、クルド人コミュニティーのある川口や蕨にヘイトデモが押し寄せるようになったのです。
もちろん、クルド人全てが正義の人ではあり得ませんから、中には犯罪に走る人もいます。しかし、彼ら/彼女たちを追いこむ社会背景にも目を向ける必要があります。ことに難民申請が却下されて「仮放免」という身分で生活している人たちは、いつ収容や強制送還の対象にされるかもしれないという不安、就労の禁止、保険がなく高額の医療費の支払い、許可なく県外に移動することの禁止など、多くのストレスを抱えて暮らしています。
国連の自由権規約委員会は、2022年の日本への総括所見の中で仮放免者をローマ字表記で抜き書きし、就労が禁止され生活保護も受けられないなど、仮放免者が生活手段を奪われていることに対し、改善を求める勧告を日本政府に対して出しています。
ですので、学生たちのフィードバックに、クルド人にかんする次のようなものを見つけたのは残念でした。「私たちの知っているクルド人のニュースとは暴力など良くないものばかりです」「最近のニュース等で川口、蕨に住んでいるクルド人がゴミ出しのルールや生活習慣などの違いから地元住民との摩擦が起こっているとの報道を見るとやはり、なんでもかんでも移民を受け入れてしまうのはリスクが伴うのではないかと感じます[中略・生活習慣や価値観の違いにより]、地元住民が不利益を被ってしまったら元も子もないと思います」「クルド人という人たちが川口にたくさん暮らしていて、事件を起こすこともあるということは知っていた」「川口市の治安の悪化が懸念されており、近隣住民も不満の声をあげている。今もクルド人の難民は増えており、こういった日本を破壊しうる存在がいる事は、現在の日本が抱えている大きな問題の一つである」などです。
これらは特定の集団(クルド人)を本質的な悪者と決めつけ、自分たちを脅かす存在として排除する、自文化中心/自民族優越とする差別的思考です。たとえば、「クルド人のニュースは暴力など良くないものばかりです」というコメントの「クルド人」をほかの集団に置き換えてみたらどうなるでしょうか。「黒人にかんするニュースは暴力など良くないものばかりです」とか、「ゲイ男性は犯罪者です」などという決めつけはできないはずです。民族、肌の色、言語、宗教、性的指向などを理由に特定の集団にネガティヴなイメージを持つことは許せません。
では「ゴミ出しのルールや生活習慣の違い」はどうでしょうか。私のマンションのゴミ置き場では、分別のルールや回収日・回収時間を守らずに捨ててあるゴミをよく見かけます。しかし、私のマンションの住人に外国人は少なく、ルール違反をしているのは日本人居住者である可能性が高いのです。仮に外国人がルール違反をしていたとしても、それこそ「生活習慣の違い」による理解不足が原因のことが多いのではないでしょうか。外国人は日本の規則を破ろうとして、また日本人と喧嘩をしたくて日本に暮らしているのではありません。生活習慣の違いからくる誤解は、根気よく、そして可能ならばその人の言語で説明をすることで、私は解消できると考えています。
さらに、ルール自体が理不尽で納得のいかないものである場合もあります。非常に細かいゴミの分別を要求する自治体には、本当に必要なのか、果たしてリサイクルが実施されているのかと疑問を感じることもあります。朝8時から8時半までといった時間の設定は、通勤や子どもの送り迎えの関係で(住民の国籍に関係なく)守れないこともあるでしょう。前の晩から出してよい、など、より寛容なルールに変更することで解決する場合も多いのではないでしょうか。「ルールだから守りなさい」と主張する前に、ルールの是非も考えてみる必要があります。いずれにせよ、「ゴミ出しのルール違反」を「近隣住民の不利益」とし「移民受入れのリスク」にまで拡大して考えるのは、あまりに短絡的な発想です。
「黒人」や「ゲイ男性」とした主語の置き換えを、今度は「日本人」にして試してください。「クルド人という人たちが川口にたくさん暮らしていて、事件を起こすこともあるということは知っていた」という文章は、「日本人という人たちが川口にたくさん暮らしていて、事件を起こすこともあるということは知っていた」になります。日本人にも犯罪者はいますから、2番目の文章も間違いではありません。しかしこう書くと、日本人全体が本質的に悪人であるかのように聞こえてきます。しかし、日本人もクルド人も、あるいはどんな人たちでも、本質的に悪人の集団はありません。
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(注1)
「不法滞在」「不法滞在者」という言葉(英語のillegal)が、使われなくなっていることを指摘しておきます。「不法」は、麻薬や銃法の「不法所持」、「不法賭博」「不法投棄」など犯罪と結びついた単語です。しかしヴィザや在留資格を持たずに他国に滞在することは、物を盗む、人を傷つけるなどの「犯罪」とは性格が異なります。ある人がどこかに滞在することで別の人が被害を受けることはありません。その人が働いたり、社会貢献活動をしてくれれば、その人を受入れた(ホスト)社会に利益をもたらすことはあれ、害をおよぼすことはないと思います。
さらに人間は生きていく上で、地球のどこかに滞在する場所、生活する場所が必要です。だから、ある人が「不法滞在」している、その人が「不法滞在者」だという表現は、その人の生活する権利、生きていく権利の否定につながります。
「不法滞在」が国連で問題にされたのは1975年のことでした。この年、国連総会は全ての国連機関に「不法(illegal)」という単語の使用を避け、「書類を持たない(non-documented)」や「非正規(irregular)」を使うように要請しています。それから50年近くが経ち、日本のメディアにも「非正規滞在者」という言い方が、ようやく根づいてきたように思います。
スウェーデンの政治家Cecilia Malmströmは、2010年に欧州委員会(EU)の内務委員(大臣に相当する)に就任したとき、「不法移民は存在しない。非正規の方法でEUへの入域を余儀なくされる人はいる。しかし不法な人間はどこにも存在しない」と言っています。
「不法な人間など存在しない(no one is illegal)」は現在、難民支援の合言葉として、世界中で使われています。繰り返しますが、難民=不法滞在者=犯罪者という図式は間違いです。
(注2)
この年、ドイツの警察当局は、難民の犯罪率はドイツ人の犯罪率と変わらなかった、という報告を出しています。
https://www.dw.com/en/report-refugees-have-not-increased-crime-rate-in-germany/a-18848890
日本には難民や難民申請者を特定した犯罪率の統計はありません。法務省が出している『犯罪白書』にあるのは「来日外国人」による犯罪検挙人数、検挙件数という項目のみです。「来日外国人」は、法務省や警察庁で使われているカテゴリーで、全ての外国人から「定着居住者等(永住者、特別永住者、駐留米軍関係者など)」を除いたもので、観光目的などの短期滞在者を含みます。来日外国人による犯罪検挙人数、検挙件数は2004年をピークに減少を続け、近年はほぼ横ばい状態です。一方、観光庁(国土交通省)の統計では、2004年に約600万人だった訪日外国人(インバウンド旅客)は、2018年に3000万人を突破しています。カテゴリーの違いから単純比較はできませんが、日本に来る外国人は増えているのに、外国人による犯罪は減っているとは言えると思います。外国人犯罪の増加、特に難民や非正規滞在者による犯罪への言及には根拠がありません。外国人(特にアジアやアフリカ出身の外国人)に対する漫然とした恐怖や差別感情が、一部メディアによる報道やSNSの書込みにより煽られた虚像と言ってよいでしょう。
最後に学生によるコメントをもう一つだけ紹介しておきます。「私が問題視しているのは、埼玉県の川口周辺に集まっているクルド人難民である。彼らは難民という立場にあるのにもかかわらず、高級車を買うなどの豪遊、殺人事件や、他にも色々な事件を起こしている。これによる川口市の治安の悪化が懸念されており、近隣住民も不満の声をあげている。」
昨年7月、川口市立医療センター病院前でクルド人同士による乱闘があり(この事件は広く報道されました)、逮捕者が出ましたが、全員不起訴となり釈放されています。私の知る限り殺人は起きていないと思います。もし起きていたとしても、日本人による殺人事件と同等に扱われるべきです。
また、「難民と言う立場にあるのにもかかわらず」という書き方は大いに問題です。難民は迫害や紛争から逃れてきた人たちで、お金を持っているかいなかが問題ではありません。難民だから貧しい生活に我慢して、おとなしく、施しものを受けなさい、という態度は改めるべきでしょう。
昨年は関東大震災の100周年でした。『福田村事件』(森達也監督)という映画が話題になり、ご覧になった方も多いかと思います。朝鮮人が暴動を起こしたという流言飛語が飛び交うなか、香川県から来た行商の一団(しかも被差別部落出身だった)が、言葉の訛ゆえに日本人であることを疑われ、惨殺されてしまったという、実際に起きた事件をベースに作られた作品です。
映画には、着の身着のまま、東京方面から徒歩で避難してくる人たちが口々に「朝鮮人が放火した」「井戸に毒を入れた」と言うシーンがあります。それに対し、リベラルな思想の持ち主である福田村の村長さんが問いかけます、「あなたたちは、本当に見たのか?」と
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