1. ホーム > 
  2.  DoTTS Faculty 教員コラム

2021/12/23 - DoTTS Faculty 教員コラム

「職業病」とも言えるけど(大澤舞)

燈台もと暗しって言葉を知ってるだろ。パパは医者だが、医者だからかえって自分の体がよくわからないこともある 。 遠藤周作 『灯のうるむ頃』

保育園からの帰り道、「今日はどんなことをした?」「給食は何が出た?」と娘に聞いてもニコニコして母の顔を見ているだけで答えてはくれない。仕方がないので、「今日はおかーさんはね、ゼミ生と一緒にね…」と、母の一日を一方的に話しながら家路を急ぐ。娘は何も言わず、ニコニコと母の顔を見たり、キョロキョロと灯りに照らされた街並みを見たりしている。

娘の笑顔から、今日も楽しく過ごしたであろうことは想像がつくが、一体どんな一日を過ごしたのだろうか。

10月某日
「つかまり立ちしたり、先生の出したカゴをめざとく見つけて高速ハイハイしたりとずーっと活動していた○○ちゃん(娘の名前)でした。」
(そうそう、興味のあるものを見つけると、跳ぶようにハイハイして向かうんだよね。)

11月某日
「つたい歩きをしながらサークルの隙間から顔を出してニコニコと楽しそうな○○ちゃん(娘の名前)でした。」
(ふふふ。その姿、想像できる。)

12月某日
「今日はご機嫌で「んまんまんままー!だっだっだっだっだー。」とたくさんお話していた○○ちゃん(娘の名前)でした。」
(両唇音も歯茎破裂音もお手のものだもんね。)

保育園の連絡帳を読みながら、ふと「なんか面白いな」という感覚を抱く。この「〜していた○○ちゃんでした。」で終わる娘の様子の記述。なんか面白い。

「○○ちゃんは今日は{〜でした/〜をしました}。」でもよいところ、「今日は〜だった○○ちゃんでした。」となるのはなぜだろうか。もちろん、保育園の先生方は、日本語の母語話者として無意識に後者の表現を「選択」しているわけだけれど、きっと、その「選択」を駆動する「無意識の知識」があるはず。それってどんなもの?

そんなことを考えていたら、そういえばと思い出したことがある。

フジテレビの「めざましテレビ」という番組の中にある「きょうのわんこ」というコーナーは、必ず最後は「〜な◯◯(わんこの名前)なのでした。」で終わるのだ。

***

東京・杉並区のとあるお宅。
今日もご主人に甘えているのが「ルチア」です。

「ルチア」は子犬の頃から散歩が大好き。
今日も家を出ると、ご主人をグイグイと引っ張って元気いっぱい。

そして、途中、近所の人に会うと…
目の前でお腹を見せて挨拶。

実は、「ルチア」は子犬の頃から近所の人やわんこたちに会うと…
真っ先にゴロンとひっくり返って挨拶をしているんです。

この挨拶の仕方で友達を増やしてきた「ルチア」なのでした。

2021年11月26日(金)放送
ルチアちゃん メス 1才6ヵ月(柴犬)
https://www.fujitv.co.jp/meza/wanko/20211126.html

 

東京・練馬区の住宅街で朝の散歩をしているわんこに会いました。
名前は「春」。

生後2ヵ月で長野県からやって来た「春」は子犬の頃からとっても食いしん坊。

楽しみにしているのは散歩から帰って食べる朝ご飯。

今日も「ご飯」と言われるとキッチンにいって大興奮!
連続ジャンプを繰り返しながらご飯の準備ができるのを待つんです。

出来ることならおかわりがしたい「春」なのでした。

2021年11月17日(水)放送
春くん オス 1才(柴犬)
https://www.fujitv.co.jp/meza/wanko/20211117.html

***

わんこの様子をいきいきと叙述するナレーションと、園児の活動の様子を記述する報告。

(ここにはなにか共通点があるような気がするんだよなぁ。なにか同じ原理が働いているような気がするんだけどなぁ。この言い方をすることで「(今日は)◯◯ちゃん(わんこや娘の名前)は{〜なのです/〜でした}。」とは違った効果が生じているような気がするんだよなぁ。)

この「なんか面白い」という感覚を抱いたことに何かしらの説明を試みようと思考をぐるぐるさせていると、「お風呂が沸きました」という給湯器の声に我に返る。

寝かしつけからの「帰還」に失敗してそのまま仮眠をとったあと(正:寝落ちからの6時間ほどの熟睡のあと)、もぞもぞと起き出して授業のコメントシートを確認。すると、学生からの以下のような質問が目に入ってきた。

“某ジムのCMで「最近、体 重くなりませんか?」という文言があったのですが、「体 重くなりませんか」がなんか変だと思ってしまいました。「重くなりませんか?」ってどういうことだろうと思いました。これは、変ではないのでしょうか?”

この(授業の内容とは関係のない)質問に思わずニンマリ。「なんか変」と思えたことにはたと手を打つ夜中2時過ぎ。

世の中の様々なことに目を向けることはとても大切なこと。特に、格差・分断・対立が深まり大きく揺らぐ昨今の社会・世界には否が応でも目を背けては通れない問題がごまんとある。だから、ちょっと意地悪な言い方をすれば、そこに「なんか変だな」とか「どうしてなんだろう」と思うのは容易いことだったりもする。むしろ思わない方がおかしいとすら考える人もいるかもしれない。自分に何ができるかわからなくても、ニュースで目にする世の中の状況に居ても立ってもいられなくなったりしたりする人もいるだろう。

多くを学び考えることで、より広い世界に目を向けることができるようになる。そして、そこに問題意識を抱くことができるようになる。さらには、具体的に自分になにができるのか、なにをすべきなのかが見えてくる。これぞ学問の意義のひとつかもしれない。つまり、さまざまな知識を身につけることによって、世界を捉える解像度を上げることができるのである。

世界を捉える解像度を上げることができるようになると、遠く広いところを見ることができるようになるのと同時に、近いところにも目を向けることができるようになるはず。

だから、当たり前だと思っていることにすら「なんか変だな」とか「どうしてなんだろう」と思えるようになる。「だってそういうもんでしょ」という思考停止状態がもはや居心地悪くなってくる。

保育園の連絡帳の表現を(いちいち、そう、いちいち!)「なんか面白い」と思うのは、確かに言語学を専門とする私の「職業病」かもしれない。

しかし、いやいや、そうとも限らないぞと思わせてくれるのが、日々世界を捉える解像度を上げるべく学び考えている学生たちの授業後のコメント。

“無意識に解釈して、無意識に話している言語だからこそ、立ち止まって考えると面白い発見が沢山あります!” (英語の世界 I 学生コメント)  

“普段自分が使っている日本語には無意識のうちにズレが生じていることや、一般常識や前後の情報によって実際には言葉に表れていない意味を汲み取り理解することができるということにこの授業を受けるまで気づきませんでした。小さいころから何気なく不自由なく話せている自分の言語にも疑問を持つことが面白いのだと思いました。” (英語の世界 I 学生コメント)

大澤 舞(専門:言語学)

おまけ
Q: 舞先生が1日の中で一番幸せを感じるときはいつですか? (英語の世界I 学生からの質問)

A: 授業を終えてから急いで保育園に娘をお迎えにいき、先生に抱っこされて出てきた娘が私の顔を見た瞬間に満面の笑みを見せるとき。そして、ゼミ生や学生が授業中に「あ、わかった!」とか「そっか!」という顔をした瞬間を見たとき。